英語は単なるコミュニケーションツールの一つ
国語(= 日本語)のテストで低い点数を取っても、日本語は不自由なくしゃべれるのに、 英語になると、たとえ英語のテストの点が高くても、急に話せなくなる人がいるのはなぜだろう?
最近は、TOEICの点数が高くても英語のスピーキングスキルとは関係ないよ、という理解は進んでいるようですが、 そもそも、英語のスピーキングスキルって何でしょう?
そこらへんをひも解きながら、筆者が思う「英語は単なるコミュニケーションツールの一つ」についてコメント。
- 英語のスピーキングスキルの指標
- テストによる指標の問題点
- テストでは測れないコミュニケーションに必要な本当の指標
- コミュニケーションでの大事な心構え
- コミュニケーションについて筆者が思うこと
- まとめ
- 参考文献
英語のスピーキングスキルの指標
コミュニケーションには、リスニングのスキルだけでなく、スピーキングのスキルも求められると思いますが、 そのスキルは、一般的にはどのように評価されているのでしょうか?
どうやら、英語勉強関連で超有名なあのアルクが、TSST (Telephone Standard Speaking Test)という、 電話を使った英語スピーキング能力試験で、英語のスピーキングスキルの指標を決めているようです[1]。
評価基準は以下の4つ。総合して9段階のレベルに割り振られます。
- Global Functions
→ 英語を使ってできるタスク - Accuracy (grammar,pronunciation, fluency etc.)
→ 正確さ (文法、発音、流暢さなど) - Context / Content
→ 対応できる状況/話題 - Text Type
→ 使用できる文章の構造
アルクによれば、このTSSTのテスト結果と、TOEICのリスニング・スピーキングの点数には、 ちょっとした乖離があるそうです。以下は、アルク英語教育実体レポート Vol. 7の引用です[1]。
リスニング・リーディングが不得手な人はスピーキングも苦手な傾向にあるが、リスニング・リーディングが得意な人はスピーキング能力が必ずしも高いとは限らないと言える。
つまり、冒頭で述べた「英語のテストの点が高くても、急に話せなくなる人がいる」という感覚はあながち間違っていみたい。
テストによる指標の問題点
ただし、上記のようなテストによる指標は、大きな問題がある、と筆者は考えている。 その問題点はこれです。
「言い間違い・聞き間違いはミス・減点の対象となっている」
日本語という母国語でさえ、ビジネスの場においても言い間違い・聞き間違いは日常茶飯事です。 それに、相手が、何の誤解も生みださなず、相手の意図が100%こちらに伝わるように話してくれる…… なんてことは、たとえ日本語の会話・メールのやり取りでも、そんなの皆無です。当然、逆もしかり。
そういうのを相手に期待すること自体がおかしい、と思いませんか?
テストでは測れないコミュニケーションに必要な本当の指標
さて、テストによる指標が役に立たなければ、何を指標にすればよいのでしょうか?
筆者が思うコミュニケーションに必要な本当の指標はこれ1つだけ。
「お互いの伝えたい内容・理解内容を確認し合えるか?」
この指標のレベルは今までの形式のテストでは測れないと思いますが、ただこれを意識するだけで、 英語力があろうがなかろうが、あなたの英語のスピーキングスキルはみるみる向上するでしょう。
コミュニケーションでの大事な心構え
日本人が英語ができないと言われる理由として挙げられるものとして多いのはコレ。
「わからないから話さない / 話せない」
でも、実際の会話・コミュニケーションでは、こういう風に考えられませんか?
- 相手の言っていることが聞き取れなかったら?
→ 相手に聞き返せばいい。 - 自分の言った単語や文法、発音などを間違ってたら?
→ もっと(別の方法で)説明すればいい。 - 言いたい単語を忘れたら(知らなかったら)?
→ 相手に聞けばいい。 or 知っている単語を駆使して説明すればいい。
これならわからなくても話せるでしょう? むしろ、わからないからこそたくさん話さなければならない、となるはず。 これが、現行の英語テストとは違うところです。 テストだったら、自分が理解できなかった場合に相手に聞き返せないし、 相手が理解していない時に別の方法で説明するチャンスはないです。
つまり、現行のテストでは「お互いの伝えたい内容・理解内容を確認し合えるか?」という指標が 一切測れない、というワケです。
えっ、「そんなのんきなこと言うな!」「TOEIC600点ごときが…英語を甘く見るなよ!」って?
でも、よく考えてほしい、あなたが日本人と日本語で会話するときを。。。
日本語での会話だって……
- 聞き取れなかったら、相手に聞き返している
- 相手が理解してなければ、もっと(別の方法で)説明している
- 単語を忘れたら(知らなかったら)、相手に聞いている。
or 別の方法で説明している
……っということをしているでしょう?
こういう心構えが日本語・英語に限らずコミュニケーションでは大事だ、と思います。
コミュニケーションについて筆者が思うこと
会話・コミュニケーションというのは、リスニングやリーディングのように自分一人だけではなく、 会話する相手がいます。コミュニケーションというのは、自分(だけ)が、 相手の言っていることを1語1句正確に聞きとって100%誤解のないように一発で理解し(リスニングのスキル)、 正確かつ流暢に物事を話せれば(スピーキングのスキル)それで十分、というワケではありません。
相手に伝えたい内容がちゃんと伝わっているか、自分の理解したことが相手の伝えたかったことと一致しているか?という 「お互いの伝えたい内容・理解内容を確認」は、相手がいるコミュニケーションでは大事ではないでしょうか?
これ、日本語でのやり取りでは、すでにそういうことに気付いているでしょう?英語も同じだと思います。
そもそも、コミュニケーションができるかどうかというのは、言語以前の問題だと、筆者は思うわけです。
いわゆるコミュニケーションの仕方というのは、それ自体は、文化の差はあれど、日本語も英語も変わらない、 つまり、日本語も英語もコミュニケーションツールの一つに過ぎない、と考えているのはここにあります。
そういう点では、コミュニケーションの仕方はある意味、コミュニケーションのアルゴリズムとも言えるかもしれませんね。
まとめ
英語ができない……から、会話できない?
いやいや、
英語ができない……から、むしろたくさん会話して……
- 自分の伝えたいことを相手に理解してもらうように努める
- 自分が理解できなかった点を相手に伝えて再度説明してもらう
……という気持ちが大事では? それがコミュニケーションというものだ、と筆者は思う。 これは、日本語も英語も同じではないだろうか。